井上K語録:俺だって言いたいことがある!

指導教官の業績評価

数名の若手研究者の質問への回答をまとめています。その意味では、「若手研究者との対話」になりますが、自論も入れているのでここに置きます。

 

 業績を調べるには、PubMedと医中誌で筆頭論文を見るのが一番だと言いました。その理由は、例えば経歴書には職歴は勿論、なにかの委員会委員(長)、学会の座長やシンポジスト、研究費が多い、あるいは大学での立場(評議員、専攻長など)を書いていると思いますが、そんなものは研究指導には一切関係ありません。人間だれしも、それなりのポジションになったらそういう仕事につくわけで、それだけのことです。また、そういう指導者は教授や准教授でしょうから、統率する講座のサイトを見て業績が多いのにも騙されないことです。大学院での学びは指導者との関係が密になります、そして自然に指導者の影響を強く受けるのです。

 

 IM Mentorもかつては、「教授とは臨床・教育・研究全てに秀でた人がなるに違いない」と思っていました。幸いなことに若いとき、仰ぎ見る師を含めてそうした先達に恵まれていましたから。詳しく言うと、

教授=臨床・教育・研究のどれか最低2つは秀でている

大教授=3つ全てに優れ、かつ尊敬できる人格者である

大学院で教えるのなら、研究に秀でてないといけないのは当然です。それを調べる実際的手段が、「PubMed*(+医中誌)で筆頭原著を調べる」です。医療系大学院の教授なら、英文原著10本(うち筆頭原著5本、10年以内が望ましい)、このくらいあって当然です。

 

 もしこのくらいの業績もない指導者の大学院に入ったら苦労することは目に見えています。こういう経験があります。査読者としてある著者(筆頭は院生)の論文を査読しました。ところがコメントに反応がない、良く考えると、どうやらコメントを理解して対応する方法がわからないらしい。共著者には(教授だったと思いますが)指導者の名前が書いています。そこで、「指導者とよく議論して回答ください」と書きました。ところが論文に改善が見られない、どうやら指導者が指導していないようです(指導能力がないのかどうかまでは不明ですが、そうらしい)。結局その論文は再提出されることはありませんでした。こういうときこそ、教授など指導者が「指導」するべきなのではないでしょうか。「教え授ける」のですから。

 

*PubMedで探してないと、Your search for [ローマ字氏名]  retrieved no results.という文章が返ってきます。まさか医療系大学院の教授で、こうなるとは思いませんでした(呆)。

研究グループはOpenであるべきである

ある人とのメールのやり取りから。

 

「僕(Inoue Methods作成者)は、自分にないものを持っている人には自分から近づきます。そしてお互いがプラスになる形で、一緒に仕事をします。研究もそうですが、すべての仕事はオープンなほうが楽しく、レベルも飛躍的に向上しますから。

それで、今の自分があると思っています。サイトの中の井上K語録をご覧ください^^ (中略)人の上に立つ者もまた、とる行動で自分より下の者に評価されます。このことを忘れてはいけません」
再び
Disclosure is 'Panacea.'(情報開示は万能薬である)
悲しいかな、「危ない研究指導者」はほとんどがオープンにやることを嫌います。自分に業績がないせいと、プライドが邪魔するんでしょうが、それでは責務は果たせません。

WONCA Jejuについて

井上真智子助教の研究は、帝京に教員として赴任する以前の研究生としてのものです。ですので発表前のコメントはしますが、演者にはなっていません。

「なんちゃって教授」じゃないので、自分の名前は不要!

 

公衆衛生研究科院生大原知心さんの発表は、Inoue Methods作成者の発案ですが、Presenterはもちろん、論文ではFirst authorになってもらいます。

初めてのプレゼンが国際学会たあ、粋でふるってるね^^ 帰ったら論文書こうな! んでもって1か月以内に投稿!

プライマリ・ケア研究者の陥る失敗

いたるところで、プライマリ・ケア、地域医療、家庭医療に関するTopicを耳にする。ざっと読むとそこには、関心を持てることが書かれている。しかし、名を変え、言葉を変えてはいるが、その本質は「なんだか昔聞いたなあ」と思うことが多い。そしてそのTopicだけが流行語のように流れていく。

 

どのような分野であれ、「知の円状構造」で新しいことを探求するには、その分野を深く知り、掘り下げていくことが重要だ。まるでクリームホイップのように表面の淡いおいしいところだけすくっていては、いつまでたっても深まらない。

 

みなが流行の表面を追うより、一人一人が自分のやりたいことに向き合って、そのTopicを深化させていけば(全体として)、本当の進歩が得られるのに。

 

例:

Patient centered clinical Method(患者中心の医療の方法)は大切である!

 

Inoue Methods作成者はこう聞く

「それはわかりました。で、どのように大切であったか、それに焦点をあてたあなたの経験を聞かせてください。何か新しいことはわかりましたか? あなたにしか伝えられない、このTopicでの話はありますか?」と。

 

ぶれることなく自分のテーマを追求し続けること

 

一番いいのは、オリジナルのものにさらに自分で探求(研究)して、自分だけしか話せない内容を付加することです。その人でしか話せないことを、人は聞きたいのですから。

ある若手研究者Aとのやりとり:反骨精神

<若手研究者>の手法を積極的に取り入れると話した後の会話です。

 

研究者

「井上先生って、すごくフレキシブルというか、確立したものがありながら

新しいものを受け入れて下さるのは、さすがだと思います」

井上和男

そこに人々に伝えるべきものがあるからだよ^^ 僕はそれだけを考える。 権威や、業績、面目など、一切考えない」

「そういうものに囚われて、自分が楽しくなかったり、他の人にも悪影響を及ぼす人が多い。中身のない人間ほど、そうなりやすい。権威主義的、肩書にこだわり、力の伸びそうな人を抑圧し、イエスマンだけを評価する。そして停滞してしまう」

研究者

「私たちの代から、そうならないようにがんばろうと思います」

井上和男

「僕は坂本竜馬を生んだ土佐の出身だ。かなり反骨精神があるのだろう(笑)」

 

Note: イエスマンって確かにいるけど、人生がそれで楽しいのか?

「いいおかお」

「ふうちゃんが ひとりで いいおかおを していました
そこへ いいおかお みせてって ねこが きました にゃー
ねこも まねっこして いいおかおを しました
ネコのあとには、イヌもまねしていいおかお。ゾウさんもまねしていいおかお」

これは、松谷みよ子あかちゃんの本の中の「いいおかお」の冒頭である。


これは大人にもそのまま当てはまる。「いいおかお」をするためには何が必要か。内面が充実していたり、幸せでなければならない。内面が充実していないのに体裁だけ取り繕っては「いいおかお」になれない。そして最初の一人が、本当に「いいおかお」をしていれば、それはみんなに伝わっていく。

 

「本物」と「にせもの」の差は、こんなところでもつくのだ。

 

Note:ちなみにいいお顔で検索して、なごんだサイトです。

ある若手研究者Bとのやりとり:Ecology of Medical Care

Kerr WhiteのOriginal Figureより講義用に改変 「各々のレベルによって健康問題の様相は変化する(同様に一般性も)」
Kerr WhiteのOriginal Figureより講義用に改変 「各々のレベルによって健康問題の様相は変化する(同様に一般性も)」

自分のこれまでしてきた研究を知った研究者と話しました。

 

研究者

「先生は今まで、地域の住民の方々を対象にしてきた研究をしてきたんですね。なんだか、私のしてきた研究とはずいぶん違います」

井上和男

「そうだよ、だからありふれた研究疑問でも、それが今までにその集団でなされてきてないことならば、そういう意味でも評価を受けてきた気がするね。地域で暮らしている人々に近い場所での研究だから、一般性があるからね

「君の研究は大体が、3次医療施設からのものだね。そうすると、そこだけの話じゃないか、そこにはそういう対象者が集まるだろう、とか言われて、選択バイアスだとか、一般性を問われないかい?」

研究者

「そうなんです。論文を書くといつも、査読者から突っ込まれます」

井上和男

「君も地域や社会を対象にして、Practice based researchをしてみないか(笑) 研究仮説・疑問も変わってくる。また、たとえ同じ研究疑問・仮説でも、結果や意義付けが違ってくると思うよ」

 

Note:これは以前にも何度か似たようなやりとりがあり、それをまとめて(disguise)みたものです。

Inoue Methodsを見たくない人!?

ある人との会話です。

Aさん「最近、地域医療学やInoue Methodsの閲覧が増えているみたいですね」

Inoue Method作成者(以下IM)「そうなんだよ、嬉しいね」

Aさん「こういう実際的な情報はみんな欲しがっているんでしょう。よろこばれているんじゃないでしょうか」

IM「ありがとう、そうならうれしい限りだね。でも嫌というか、煙たい人もいると思うよ(笑)」

Aさん「そんな人がいるんでしょうか?」

IM「こういう人たちだよ、耳が痛いでしょう(笑)」

Aさん「なるほど。そういう人たちへの警鐘としても書いているんですか」

IM「そうではないけど、実際にそういう人が悪影響を及ぼしているのを見たことがある。自分のプライドにこだわって、これからの人たちの可能性を潰してほしくないからね」

IM「それに、世の中には素晴らしい先達もいるんだよ。自分もだが、そういう方々を仰ぎ見て、自分自身を見直していかなければね」

Aさん「よくわかります」

IM「なにも僕は、全ての人が研究だけで例えば教授になるべきであると言ってはいないんだ。そういう業績がなくても、教育者として、あるいは講座の運営者として素晴らしい人々がいる。僕が猛省してほしいのは、例えばその講座の若手を研究指導できる業績や経験がないのに、大学院生をとったりしている場合だ。肩書だけでは、人を教えられないし、教えてはいけないんだよ。これも仰ぎ見る師から学んだことだけどね」

Aさん「そういう人は確かに見たくないですねえ(笑)」

IM「尤も、若手が見ていたらそれもおちおちできないだろうな(大笑)」