基本的なこと

PBRで大切なことは2つです、確信と言ってよいでしょうか。

-日常診療で流れていくところに、素晴らしいテーマがある

-日常診療で生まれるデータ(+α)にテーマを語ってもらう

 

普段の診療から得られたテーマは楽しく、学究の「学」と「楽」を同時に味わえます。

研究デザイン/プロトコルは重要か

医師国家試験例題:あくまでデザインの話、こんなの真面目くさって研究者がやることではない
医師国家試験例題:あくまでデザインの話、こんなの真面目くさって研究者がやることではない

この答えは、もちろんイエスです。しかし、最重要かと言われるとそうではないと思います。デザイン(そしてプロトコル)をきちんと作ったのに、研究は一向に進まないことがよく見受けられます。私はこれを、Design (and protocol) arrestと呼んでいます。重要なことは、デザインは臨床現場の状況を十分取り込んですり合わせておくべきなのです。そうでなければ机上の空論になりかねません(というか、ほとんどそうなります)。

 

研究費がない? 必ずしもそうではないと思います。Million dollar studyのように、潤沢な資金で必要な状況を作り出せれば別でしょうが。研究デザインの時点で同時に、達成可能なように臨床現場の状況に落とし込んでいくことが必要なのです。このことはEvidence based practice (medicine)が、臨床現場の状況や対象者の意向をくみつつ行われるべきであるというのと、相通じています(Haynesらの論文からの引用図)。

 

ですので、研究デザインも「ケースレポートよりケースシリーズ、それよりケースコントロール研究、それよりコホート研究、それより無作為ランダム化試験」というように医師国家試験的(!)なことではなく、「臨床現場で実行可能で、(どんなデザインでも)自分のいいたことを証明できて、できればお金も人もそんなにいらない」研究がより良いと言えます。

*「S君への手紙」を参照ください。

New!@2012/9/05

ある同報メールでの発信内容です。

デザインは重要なのですがそこから始めると、理念や概念が先行して、現場で実行可能な研究に落とし込みにくくなるんです。

それからPractice based research by Inoue Methodsでは、現場で仕事をしている研究者の想いは、当初からあります。

それをベースにしていくと、実行可能性も、現場とのすり合わせもより良いものになっていきますね」

研究疑問・仮説は「漠然」ではいけない

Practice based researchでは、研究者の日々の思いを形にしていきます。その「思い」が探究するに足る(=まだわかってない)テーマに育ったとき、研究者には明確な疑問があるはずです。勿論その疑問を、研究として実施可能なものに変えていく必要はありますが。→関連項目

 

そしてもう一つの事実があります。  

・What is already known.(これまでわかっていること)

・What your study will add as a new finding.(あなたの研究が得られるだろう新知見)

 

これまでわかっていること、つまり先人の努力による蓄積からさらに付け加えられるべきもの、探究されるべきものは決まってきます。

研究費の話:Thifty research

私(井上和男)は、診療所時代にやった研究はほとんどが研究助成費など受けていません。自腹を切ったこともありますが、それはポケットマネーレベルの話です。

 

それより、現場にすでにある状況(データなど)をうまく活用し、周囲に理解者を作ることがはるかに重要です。私はこれを、Thrifty researchと呼んでいます。逆に、それなりに研究費をつぎ込んだにもかかわらず、一向に成果が出ない*(大学レベルでもまれではありません)ことがあります。その時は、PBRの原点に返るべきなのです。

*'Money wasting but no outcome' research

研究費は必要十分あればよい

大きな研究グループを運営する場合は別でしょうが、一般的には研究費は必要十分あればよいです。一見贅沢に聞こえますが、あまり過度にあると、その消化でかなりの労力を使います。 それから、研究費は無論あったほうがよい(あるいは必須)ですが、それ自体で研究成果を保証する十分条件ではありません。あくまで必要条件のほうです。

 

避けなければいけないのは、研究費はたくさん取ってきていても、原著論文ができない、'Money wasting but no original papers' researchの事態です。報告書ばかり積みあがっていきます。無論報告書も経歴には書けますが、社会に貢献する「正しい業績」という面では論文より格段に落ちます。研究の間尺に合った研究費を取得し、しっかり成果を出していくことを考えましょう。

Practice based researchの原点

こんな例、よくあります。ここで言えるのは単なる関連です。(クリックで拡大)
こんな例、よくあります。ここで言えるのは単なる関連です。(クリックで拡大)

 ・自分の想いは、本当に現場の実感や状況を反映しているか、どこかで都合のよい様に解釈してないか?

・それは「する」ことに意味があるのか、他の人々に伝えるべき**ことなのか?

 

**論文:関心のある人々に伝えるべきメッセージを持つ、科学的論理に基づいた文章の秩序ある集合体 

研究費取得:Myth and reality(神話と現実)

出典:フリー写真素材 足成
出典:フリー写真素材 足成

しばしば、研究に関するセミナーなどで、「研究費を取得するにはどうするか」という内容のものにお目にかかります。多くの人が真剣に聴いているようですが、ここで考えなければいけないことがあります。

 

Question:「いままで研究をしたことがない(したがって実績もない)人が、研究申請をして受理されるか?」


答えは、おそらくNoです。論文と一緒で、研究申請書にも読み手がいます、審査委員です。研究者の研究業績も見るでしょうし、勿論申請した研究内容もチェックするでしょう。業績はひとまず置くとしても、審査委員に理解される研究申請書もまた、(論文作成ほどではないですが)トレーニングを要します。これまた論文と一緒に、「いい研究内容だから認められずはずだ」との考えもありますが、否定はしませんが、それはまれだと思います。研究申請もまた、指導を要するのです。

 

例えば大学院であれば、最初は指導者など研究の熟練者の手伝いをしながら、その経験を積みます。現場でPBRを行おうという研究者も、そうやって指導者の研究を手伝いながら自分の中に経験を蓄積していく、これが大事だと思います。

 

「研究指導者は、研究費申請の経験者でもある必要がある」

 

Note:勿論幾多の研究助成で、まだ業績の乏しい若手研究者のためのカテゴリーが用意されています。しかしながら、そのカテゴリーでも、「明快かつ独創性があり、さらに審査委員にアピールする」研究申請書のほうが有利なのは当たり前です。少数回のセミナーではここまで作成するのは、困難です。

ではどうすれば?

ではどうすればいいのでしょう。「実行可能で、自分のいいたいことを証明できて、できればお金も人もそんなにいらない」研究はどうすればできるのか?

 

いろいろな考えがあるでしょうか、一つは「臨床現場の状況を味方にする」ことです。具体的には、「すでにあるものを研究に取り込む」ことが取り上げられます。(to be constructed)